サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)は、略名のフェラガモの名で有名です。
そんなサルヴァトーレ・フェラガモのブランド始まりは、靴からのスタートでした。
オーダーメイドの靴が噂を呼び人気に
創業者であるサルヴァトーレ・フェラガモは9歳で靴作りを始めて11歳という若さで、自宅にて靴屋を開業します。
その4年後の15歳のときに、サルヴァトーレ・フェラガモは故郷のイタリア南部の小さな村を出てアメリカへ渡ります。
サルヴァトーレ・フェラガモは渡米先のサンタバーバラで、ハリウッドの映画スターたちにオーダーメイドの靴を作り、彼らの心を作りました。
質のいいサルヴァトーレ・フェラガモの靴は彼に大きな名声と富を与えたのです。
彼の持っている「足を傷めにくい」職人としての技術、ブランド力、企画力はほかのブランドの靴にない魅了を持っていました。
サンタバーバラ、ハリウッドを中心にサルヴァトーレ・フェラガモの靴は独創的なデザインと高いクオリティーがブランド名とともに広がりました。
歴史は深く多くの方から愛用される
「サルヴァトーレ・フェラガモ」が本当の意味でブランドになったのは、1927年。
13年間のアメリカでの修行から、故郷であるイタリアに戻りフィレンチェに落ち浮いた頃に始まります。
渡米したアメリカで靴の評価を認めてもらったサルヴァトーレ・フェラガモは、この年に会社を設立します。
当事の最先端工場で、750人の靴職人とともに会社を大きくしていったのです。
しかし、1933年には「サルヴァトーレ・フェラガモ」が一度倒産を迎えます。
サルヴァトーレ・フェラガモは、靴作りの情熱を押さえきれずにもう一度靴作りに挑戦します。
アメリカにいた当時の顧客である映画スターや富裕層の人たちの靴をオーダーメイドし、彼らの期待に応えました。
そして、紹介や口コミによりフェラガモはイランの王族やインドの貴族などの顧客を獲得し、再復帰します。
当時としては珍しい、オーダー制の靴作りが勝機を勝ち取りました。
サルヴァトーレ・フェラガモにはこのようなお客様が求める靴をオーダーメイドしてきた歴史があります。
その歴史は1人の靴職人によって始まったのです。
1967年からはサイドラインが充実
1967年にはフェラガモの次女がディレクターとなり、アパレルコレクション「プレタポルテ」をリリースします。
「プレタポルテ」の発表により、靴以外にバッグや香水、財布やサングラスなどの商品が並び始めます。
2000年からは、アパレルコレクションが順調になりデザインを強化するため部門毎のデザイン担当は配属させます。
2003年になると、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)で経験を重ねたグレエム・ブラックをデザイナーに迎えます。
以降、アパレル部門においてもデザイン面に力を入れ続けます。
日本人デザイナーとのタイアップ
2009年になると、日本のヨウジヤマモトとフェラガモがコラボレーションで靴はリリースします。
「ヨウジヤマモト」は、山本耀司が立ち上げたファッションブランドです。
1981年には、パリコレクションにてモード業界では「タブーとされた黒」を前面に演出したコレクションを発表します。
賛否両論の意見を受けつつも、「ブラックショック」と呼ばれ注目を集めました。
サングラスの充実
2010年になると、フェラガモのサングラスラインが充実し始めます。
また、フェラガモが当時から「靴の履きやすさ」を大切にしていたこともありサングラスにも反映されております。
そのフェラガモの精神から、サングラスにも「見えやすさ」が重視され、フェラガモの偏光サングラスラインが登場します。
フェラガモはサングラスをファッションアイテムだけでとらえず、視界も追及しております。
フェラガモの偏光サングラスが登場した時には、激震が走りました。
デザイン性も良く、偏光サングラスなので視界が良い。
価格帯はフェラガモ通常サングラスと比べ、フェラガモ偏光サングラスは約2倍ほどの価格帯になります。
フェラガモの偏光サングラスは、ラインナップも豊富なので日本国内での購入も可能です。