ファッションに詳しくない人でもシャネル(CHANEL)の名前は聞いたことがあるでしょう。
しかし、その歴史は詳しく知らない人が多いと思います。
帽子専門店としてのスタート
シャネルの歴史は1910年にココシャネル、またの名をガブリエル・シャネルがパリのカンボン通りに「シャネル・モード」をオープンしたことで始まります。
当初は、帽子専門店としてシャネルのお店は始まったのです。
当事、女性の経営者は珍しかったのですが、美貌と才能を持ったガブリエル・シャネルに惹かれる男性は多くいました。
経済力豊かなイギリス人青年実業家であるアーサー・カペル氏の力も借りて、彼女は開業に至りました。
援助してくれた男性の力もありますが、ガブリエル・シャネル本人が素晴らしい才能と人間性があったからこそ、彼らの援助を受けられたのです。
衣服やファッションアイテムなど拡大へ
最初は帽子専門店だったシャネルも、帽子から衣服へと扱うファッションアイテムを増えていきます。
珍しい取り組みも話題になりました。
当事、男性用下着に使われていたジャージをデザインに取り入れたり、紳士服であるツイードを女性用スーツに取り入れてしまったりと大胆で存在感のあるコレクションが注目されます。
ガブリエル・シャネルのそうした取り組みは周囲を驚かせ、大きな話題を作り出しました。
見た目の美しさを持っていたガブリエル・シャネルは自分がシャネルというブランドの広告塔になり、世界に名前を売ったことでも有名です。
ファッションの才能だけでなく、経営者としての素質が高かったからこそ、シャネルのブランドは今も世界中の
人に愛されている高級ブランドになっています。
その歴史には1人の偉大な女性経営者がいたのです。
シャネルの5番
1920年になると、シャネルの功績が評価されロシア人貴族から一人の調香師を紹介されます。
その調香師エルネスト・ボーは、父親がロシア皇帝のもとで調香師として仕えている調香師家系です。
ロシア人貴族からのセッティングで、シャネルの認知度とエルネストの調香力を合わせた香水部門が誕生します。
エルネストはガブリエル・シャネルに試作品を80種類以上用意し、そこから選ぶ方式をとりました。
シャネルの香水として候補に残った試作品番号が「No.1、No.2、No.3、No.4、No.5」と「No.20、No.21、No.22、No.23、No.24」です。
候補として残った香水の試作品サンプルの中から結果的にガブリエル・シャネルが選んだ香水が試作品「No.5」です。
こうして、エルネストとガブリエル・シャネルが世に生み出した香水「シャネルNo.5」が登場します。
これまで香水メーカーそのものにも、試作品番号を商品名に取り入れるという発想がなくシャネルのそのセンスはたちまちインパクトのあるものとなりました。
開発から翌年の1921年に伝説の香水「シャネル No.5」が発売され、世界的ベストセラーの香水になります。
シャネルのアイウェア
衣類品での成功に続き、香水部門でも名乗りを上げたシャネル。
アクセサリーや腕時計、サングラスと幅広く分野を展開していきます。
ここで、サングラス部門に関してはシャネルの知名度と功績からイギリスのルックスオティカ社がシャネルのライセンスを取得します。
ルックスオティカ社は、レイバン(Ray-Ban)などを傘下に収める世界最大規模のメーカーです。
その長年のサングラス製造経験とシャネルの認知度を合わせ、シャネルのサングラスが登場します。
特にシャネルの「CC」ロゴは、サングラスフレームに絶妙なアクセントポイントとなります。
一目でシャネルのサングラスと分かり、上品かつ美しいデザインが際立ちます。
また、製造管理が世界最大規模のサングラスメーカーということもありシャネルのサングラスは視界も良好。
視界が良いというのは、偏光レンズ部門と登場しているためです。
一般的に、名前の通ったブランドではサングラスそものもだけで需要があり、それ以上のスペックは必要ありません。
しかし、製造管理をルックスオティカ社が請け負っているため更にレンズに付加価値を生み出しやすくなります。
シャネルといえば、今や知らない人がいないくらいの名ブランドです。
そんな有名なブランドのシャネルに偏光サングラスのラインも豊富なので有りがたい限りです。
シャネルの偏光サングラスは、日本でも入手しやすくなっております。